徳島県三好市池田町の吉野川には、池田ダムがあります。
池田ダムには、徳島県の吉野川北岸用水池田取水工があります。
池田ダムには、香川県の香川用水取水口があります。 香川用水取水口から、阿讃導水トンネルで香川県に送水されています。
香川県は瀬戸内海気候のため年間降水量が少なく、河川も短いため、1万個以上のため池を作って用水を確保してきましたが、すぐに水不足となっていました。そこで、吉野川総合開発計画の一環として、高知県の早明浦ダムに貯えられた水を、徳島県の池田ダムから約8Kmの阿讃導水トンネルを使って、香川用水東西分水工に導水しています。
東西分水工では、東に延びる73kmの東部幹線と、西に延びる13kmの西部幹線に分水されています。
香川用水は、疎水百選に選ばれています。
香川用水管理所のWebページから、香川用水事業概要と、裏面の香川用水事業平面図のパンフレットをダウンロードできます。
香川用水東西分水工の隣には、香川用水記念公園があり、無料の水の資料館があります。 水の資料館には、ため池の樋管や、土手を固める道具や、用水路よりも高い位置にある田んぼへ水を入れるための足踏み水車などの展示が行われています。
満濃池は、日本最大の灌漑用ため池で、国の名勝、世界かんがい施設遺産、ため池百選などに選ばれています。 満濃池の樋門は、国の登録文化財に指定されています。 まんのう町のWebページから、名勝満濃池のパンフレットをダウンロードできます。
満濃池には、池の守護神である神野神社があります。 神野神社の鳥居は、室町時代の1470年(文明2年)に建てられた鳥居です。
豊稔池は、柞田川西岸の水田や大野原のレタス畑を潤していて、ため池百選などに選ばれています。 豊稔池堰堤は、我が国最初期のマルチプルアーチ式コンクリート造堰堤で国の重要文化財に指定されています。 香川県のWebページから、豊稔池のパンフレットをダウンロードできます。
早明浦ダムは、吉野川総合開発計画によって、吉野川の治水と四国全域の利水を目的に1975年(昭和50年)建設されたダムです。早明浦ダムの水は、四国の水がめとして、四国4県に分水されています。
山田堰は、江戸時代初期の1639年に野中兼山が26年かけて造った、物部川の曲線斜め堰です。 1973年(昭和48年)に物部川合同堰が完成し、その役目は終わりました。 山田堰は取り壊され、物部川緑地公園として整備されています。 物部川緑地公園には、山田堰の一部と中井第二水門放水口などが残されています。 山田堰跡は、高知県の史跡に指定されています。
旧山田堰跡の800mほど上流に物部川合同堰が造られ、現在は合同堰から取水しています。
山田堰からの用水路は、山田堰井筋(やまだぜきゆすじ)と呼ばれています。 山田堰井筋は、高知県香美市土佐山田町楠目にある山田分水工で、上井筋用水路、中井筋用水路、舟入井筋用水路に分かれています。
高知県香美市土佐山田町中野の舟入井筋用水路沿いには、野中兼山が隠居した別邸がありました。 野中兼山は、すぐれた土木技術者だったのですが、過重な賦役を課すことになり領民から恨まれ、激しい気性だったため敵も多く、失脚することになってしまいました。
高知県香美市土佐山田町中野の野中兼山別邸跡の近くには、野中兼山を祀る時光石宮(とっこいしぐう)があります。
高知県南国市を流れる舟入川(ふないれがわ)も、山田堰井筋として野中兼山が造った川です。 舟入川は運河としての役割もあり、高知市の大津川に流れています。
八田堰(はたぜき)は、江戸時代初期の1653年に野中兼山が5年かけて造った仁淀川の堰堤です。
現在の八田堰は、1931年(昭和6年)に近代的な堰及び取水施設に改修されました。
旧八田堰の跡は、いの町の文化財に指定されています。
八田堰から取水している用水路は、吾南(春野)地方を灌漑するため、吾南用水(春野用水)と呼ばれています。
日本一の水質を誇る仁淀川の水を取水しているので、吾南用水の水はとても綺麗です。
吾南用水には、八田堰から新川のおとしに流れる弘岡井筋と、小田井流で分水し春野町諸木に流れる諸木井筋があります。
高知県高知市春野町弘岡上の行当(ゆきとう)の切抜では、用水路を通すために山を切り抜き用水路を通しました。 八田堰の用水路工事で最難関の工事だった場所で、高知市の文化財に指定されています。
高知県高知市春野町弘岡下には、諸木井筋の遅能の底圦り(北山川の水路橋)があります。 水路橋の近くの郷親水公園には、吾南用水(春野用水)の解説板があります。
高知県高知市春野町森山には、石造りアーチ橋の涼月橋があります。
涼月橋の下流は、新川のおとしと呼ばれる石畳の急流となっています。 これは、弘岡井筋と排水路兼運河の新川川との高低差を調整するために造られました。 仁淀川と高知城下は弘岡井筋と新川川を通じて、水路で結ばれていますが、新川のおとしでは積み替えなければならなかったため、新川町は繫栄していたようです。
新川の落としの脇には、野中兼山を祀る春野神社があります。
高知県高知市長浜には、唐音(からと)の切抜では、高知城と仁淀川を結ぶ運河となる新川川を通すために山を切り抜き用水路を通しました。 唐音の切抜には、石碑があります。
麻生堰は、江戸時代前期に野中兼山によって、四万十川支流の後川に造られた曲線斜め堰で、建設当時の姿のまま現役で活用されています。 麻生堰は、土木学会選奨土木遺産に選ばれています。 また、麻生堰と四ヶ村溝は、四万十市の文化財に指定されています。
麻生堰からの用水路は、秋田、安並、佐岡、古津賀の4つの村を潤したため、四ヶ村溝(しかむらみぞ)と呼ばれていました。 四ヶ村溝では、用水路より高い位置にある田んぼに水を汲み上げるため、多数の水車が設置され「四ヶ村溝の水車」として親しまれていました。 現在は、観光用の水車が安並地区に設置されていて、安並水車の里公園として整備されています。