山田堰は、江戸時代初期の1639年に野中兼山が26年かけて造った、物部川の曲線斜め堰です。 1973年(昭和48年)に物部川合同堰が完成し、その役目は終わりました。 山田堰は取り壊され、物部川緑地公園として整備されています。 物部川緑地公園には、山田堰の一部と中井第二水門放水口などが残されています。 山田堰跡は、高知県の史跡に指定されています。
旧山田堰跡の800mほど上流に物部川合同堰が造られ、現在は合同堰から取水しています。
山田堰からの用水路は、山田堰井筋(やまだぜきゆすじ)と呼ばれています。 山田堰井筋は、高知県香美市土佐山田町楠目にある山田分水工で、上井筋用水路、中井筋用水路、舟入井筋用水路に分かれています。
高知県香美市土佐山田町中野の舟入井筋用水路沿いには、野中兼山が隠居した別邸がありました。 野中兼山は、すぐれた土木技術者だったのですが、過重な賦役を課すことになり領民から恨まれ、激しい気性だったため敵も多く、失脚することになってしまいました。
高知県香美市土佐山田町中野の野中兼山別邸跡の近くには、野中兼山を祀る時光石宮(とっこいしぐう)があります。
高知県南国市を流れる舟入川(ふないれがわ)も、山田堰井筋として野中兼山が造った川です。 舟入川は運河としての役割もあり、高知市の大津川に流れています。