八田堰(はたぜき)は、江戸時代初期の1653年に野中兼山が5年かけて造った仁淀川の堰堤です。
現在の八田堰は、1931年(昭和6年)に近代的な堰及び取水施設に改修されました。
旧八田堰の跡は、いの町の文化財に指定されています。
八田堰から取水している用水路は、吾南(春野)地方を灌漑するため、吾南用水(春野用水)と呼ばれています。
日本一の水質を誇る仁淀川の水を取水しているので、吾南用水の水はとても綺麗です。
吾南用水には、八田堰から新川のおとしに流れる弘岡井筋と、小田井流で分水し春野町諸木に流れる諸木井筋があります。
高知県高知市春野町弘岡上の行当(ゆきとう)の切抜では、用水路を通すために山を切り抜き用水路を通しました。 八田堰の用水路工事で最難関の工事だった場所で、高知市の文化財に指定されています。
高知県高知市春野町弘岡下には、諸木井筋の遅能の底圦り(北山川の水路橋)があります。 水路橋の近くの郷親水公園には、吾南用水(春野用水)の解説板があります。
高知県高知市春野町森山には、石造りアーチ橋の涼月橋があります。
涼月橋の下流は、新川のおとしと呼ばれる石畳の急流となっています。 これは、弘岡井筋と排水路兼運河の新川川との高低差を調整するために造られました。 仁淀川と高知城下は弘岡井筋と新川川を通じて、水路で結ばれていますが、新川のおとしでは積み替えなければならなかったため、新川町は繫栄していたようです。
新川の落としの脇には、野中兼山を祀る春野神社があります。
高知県高知市長浜には、唐音(からと)の切抜では、高知城と仁淀川を結ぶ運河となる新川川を通すために山を切り抜き用水路を通しました。 唐音の切抜には、石碑があります。