九頭竜川下流用水の取水口は、鳴鹿大堰にある鳴鹿頭首工です。 左岸に芝原用水の取水口があります。
芝原用水は、江戸時代の1601年(慶長6年)に福井城を整備した時に、福井城下の飲料水と堀の水の確保のために造られた用水です。 現在は、九頭竜川下流用水としてパイプライン化されていますが、疎水百選に選ばれています。 鳴鹿頭首工からパイプラインを流れてきた用水は、ニタ口(ふたくち)発電所で発電を行い、旧芝原用水に分水されています。 ここでは、旧芝原用水を芝原用水として紹介しています。
芝原用水は、越前島橋駅付近で、えちぜん鉄道と交差します。 新保町付近では、芝原用水沿いに遊歩道が造られています 福井口駅の手前の福井市志比口あたりから、外堀から城内に流れる用水と、城下町や加賀口御門前の堀に流れる分流が、分かれています。
福井市宝永付近では、発掘調査が行われ、江戸時代の上水路の跡が見つかり、親水公園として整備されました。 江戸時代の芝原上水には、上水奉行が置かれ、厳しい利用制限が行われていたようです。
芝原用水は、養浩館庭園横を流れています。 このあたりは、福井城の外堀だった場所です。 福井市立郷土歴史博物館の隣の御泉水公園付近では、江戸時代の外堀が復元されています。 親水公園の幅は、福井城下絵図に表記されている、幅9間(約16.4m)とほぼ同じになっています。
芝原用水の支流は、城下町や、加賀口御門の周囲の堀などにも流れていました。 加賀口御門は、福井城下の最北端にあり、加賀方面に向かう北國街道の防衛拠点として造られた門です。