九頭竜川下流用水の取水口は、鳴鹿大堰にある鳴鹿頭首工です。 左岸に芝原用水の取水口があります。
右岸には十郷用水の取水口があります。 十郷用水は、平安末期の1110年(天永元年)に、春日社興福寺の荘園だった、本庄、新郷、大味、溝口、細呂木、荒井、兵庫、大口、関、新庄の十郷に水を引くため造られた用水です。 九頭竜川下流用水は、十郷だけでなく、坂井平野のほとんど全域を潤している、福井県最大の用水です。 用水路の老朽化による維持管理費の増大、都市化に伴う生活ゴミの流入等による水質悪化、塩水化、用水不足などを解決するため、パイプライン化されています。 取水口の脇には、パイプラインに使われているパイプの展示や、掘削に使われたシールドマシンの展示が行われています。 また、九頭竜川下流用水のパイプライン地図のモニュメントもあります。 農林水産省のWebページから、九頭竜川下流用水の平面図をダウンロードできます。
芝原用水は、江戸時代の1601年(慶長6年)に福井城を整備した時に、福井城下の飲料水と堀の水の確保のために造られた用水です。 現在は、九頭竜川下流用水としてパイプライン化されていますが、疎水百選に選ばれています。 鳴鹿頭首工からパイプラインを流れてきた用水は、ニタ口(ふたくち)発電所で発電を行い、旧芝原用水に分水されています。 ここでは、旧芝原用水を芝原用水として紹介しています。
芝原用水は、越前島橋駅付近で、えちぜん鉄道と交差します。 新保町付近では、芝原用水沿いに遊歩道が造られています 福井口駅の手前の福井市志比口あたりから、外堀から城内に流れる用水と、城下町や加賀口御門前の堀に流れる分流が、分かれています。
福井市宝永付近では、発掘調査が行われ、江戸時代の上水路の跡が見つかり、親水公園として整備されました。 江戸時代の芝原上水には、上水奉行が置かれ、厳しい利用制限が行われていたようです。
芝原用水は、養浩館庭園横を流れています。 このあたりは、福井城の外堀だった場所です。 福井市立郷土歴史博物館の隣の御泉水公園付近では、江戸時代の外堀が復元されています。 親水公園の幅は、福井城下絵図に表記されている、幅9間(約16.4m)とほぼ同じになっています。
芝原用水の支流は、城下町や、加賀口御門の周囲の堀などにも流れていました。 加賀口御門は、福井城下の最北端にあり、加賀方面に向かう北國街道の防衛拠点として造られた門です。
足羽川用水は、足羽川頭首工から取水し、酒生用水、徳光用水、六条用水、足羽三ヶ用水、足羽四ヶ用水、木田用水、社江守用水の7つの用水により、福井市南東部を潤している用水で、「世界かんがい施設遺産」と「疎水百選」に選定されています。 足羽の清流のWebページから、世界かんがい施設遺産「足羽川用水」のパンフレットをダウンロードできます。
足羽川用水の取水口付近には、三連水車が設置されていて、ビオトープへ水を汲み上げたり、発電したり、石臼を回したりする様子を見ることができます。
足羽川用水基幹分水工では、右岸の酒生用水、左岸の徳光用水、六条用水、足羽三ヶ用水に分水しています。
右岸の酒生用水には、足羽川の下をサイフォンを使って、水を送っています。
旧酒生用水は、右岸から取水し、調節水門を通って流れていました。 旧酒生用水調節水門は、現在使われていませんが、保存されています。
酒生用水は、酒生分水工で、酒生上江用水、酒生下江用水、稲津用水に分水され、足羽川右岸を潤しています。
左岸の徳光用水は、徳光分水工、徳光下江分水工で分水され、流れています。 東郷の街の中は、道路の中央を用水が流れ、遊歩道も整備されています。
六条用水は、六条分水工で、木田・社江守用水と分水しています。
六条分水工付近には、旧木田用水路跡が残っていて、旧木田用水に使われていた石造物や定石などが展示されています。 定石は、水争いを無くすため、分水部分に設置されていた石のことです。
足羽川用水には、岩倉分水工、四ヶ分水工、木田・社江守分水工などもあり、分水されていきます。