那須疎水は、明治政府の殖産興業政策により、1905年(明治38年)に造られました。
那須疎水は、世界かんがい施設遺産や、日本遺産になっています。
また、那須疎水は、安積疎水、琵琶湖疎水とともに、明治時代に造られた「日本三大疎水」と言われています。
那須疎水に関する日本遺産のWebページから、那須疎水に関するパンフレットをダウンロードできます。
那須野ヶ原用水は、那須疎水が流れる地域に江戸時代から存在していた歴史ある用水です。現在は、那須疎水と統合化されています。
那須野ヶ原用水は、疏水百選に選ばれています。
水土里ネット那須野ヶ原のWebページから、那須野ヶ原用水のパンフレットをダウンロードできます。
那須疏水は、蛇尾川の下をサイフォンで流れています。 蛇尾川など、那須野ヶ原の川は、水が流れていません。 扇状地は石が多く水はけがよく、扇端部分までは伏流水として流れるためです。 ですから、那須疎水のような用水が必須となります。
那須野ヶ原の開拓は、那須疎水だけではなく、明治時代の華族たちが私財を投じて、大規模農場の経営を行ってきました。そのため、那須野ヶ原には、華族たちの別荘や農場が多く残されています。
旧青木家那須別邸は、明治政府で外務大臣を務めた青木周蔵が残した白亜の洋館で、国の重要文化財に指定されています。
松方別邸は、明治政府で大蔵大臣や内閣総理大臣を務めた松方正義が残した洋館です。 松方別邸は、千本松農場の中にあり、外観だけですが見学することができます。
山縣有朋記念館は、明治政府で内閣総理大臣を務めた山縣有朋が残した洋館で、栃木県の文化財に指定されています。
大山別邸は、明治政府で元帥を務めた大山巌が残した重厚なレンガ造りの洋館でで、栃木県の文化財に指定されています。
大山参道は、大山巌の墓に続く杉並木の参道です。
乃木希典那須野旧宅は、明治政府で陸軍大将を務めた乃木希典那が残した和風の別荘で、栃木県の史跡に指定されています。
乃木神社は、乃木大将夫妻を祀る神社です。 乃木神社の境内を蟇沼用水が流れています。
旧塩原御用邸新御座所は、県令三島通庸が建築した別荘を天皇に献上し、御用邸として使われていた建物で、栃木県の文化財に指定されています。
疎水パークは、那須塩原市の都市公園で、都市化により市街地の疎水を直接見ることができなくなったため、整備されました。