鞍月用水は、江戸時代に築造された総延長14.6kmの用水で、旧戸板村・旧鞍月村・旧弓取村を灌漑しています。
鞍月用水は、金沢疏水群として、大野庄用水、長坂用水とともに、疎水百選に選ばれています。
しかし、Webページなどで紹介されているのは、城南から中橋までの4kmぐらいだけです。
鞍月用水と呼ばれるからには、旧鞍月村まで続いているはずですし、残りの10kmがどうなっているのか、よくわかりません。
ちなみに、金沢市には鞍月町がありますが、これは2002年に付けられた新しい名前で、旧鞍月村では、村はずれの西端でしたので、非常に紛らわしいです。一般的に鞍月というと、鞍月小学校、鞍月公民館、鞍月交差点などがある金沢市南新保あたりのことを指します。鞍月村の道路元標や旧鞍月村役場も南新保にありました。当然、鞍月用水の本流も南新保を目指して流れていたと思われます。
金沢市では小学校高学年になると、金沢の用水についても学校で習うようなので、息子と一緒に鞍月用水の探索に行ってきました。
鞍月用水の取水口は、金沢市城南2丁目の油瀬木にありましたが、2008年(平成20年)の浅野川氾濫で、浅野川から犀川への導水路が活躍できなかったこともあり、翌年の2009年(平成21年)から河川掘削工事が始まり、鞍月用水の取水口は、上流にある雪見橋付近の堰堤に移動されました。
取水口から、城南町内は暗渠になっています。 藤棚白山神社の前も、暗渠で流れています。
菊川町に入ると、開渠になりますが、住宅の裏を通るため、橋から眺めることしかできません。 永井善隣館の近くに「主馬一の橋」があります。 この辺りは、藩政時代鉄砲頭本庄主馬の邸宅があったので主馬殿町と呼ばれていたそうです。
鱗町交差点で辰巳用水の分流である勘太郎川と合流します。 合流点の鞍月用水の上には、鱗町子守川股地蔵尊があります。
油車は、江戸時代に油屋さんが、水車を回して油の製造をしていた場所です。 鞍月用水は、水車を回す目的もあったため、取水口の堰も、油瀬木と呼ばれていました。
片町では、辰巳用水の分流と合流し、金沢城西外惣構としても機能していました。 片町のビルの合間を縫うように香林坊方向に流れていきます。
国道157号線を横切ると、せせらぎ通りに出ます。 せせらぎ通りは、用水の保全のため、開渠化されたときに付けられた名前です。
中央小学校付近は、土塀に似せた塀が続き、雰囲気の良い区間となっています。
東大通りの脇に、鞍月用水水門管理棟があります。
水門を過ぎ中橋陸橋跡で、木曳川への分流があります。
駅西地区は区画整理されていて、鞍月用水もほとんど暗渠となります。 暗渠の場合、地図には掲載されませんので、道路上に見える管理用の鉄蓋を探していくしかありません。 でも、小学生の息子は、鉄蓋探しを楽しんでいたようです。
金沢駅から金沢港クルーズターミナルに向かう駅西大通りの中央には、水路が流れています。 鞍月用水の水の一部も、そちらの水路にも流れているようですが、鞍月用水の本流は、西念町の方に流れています。
西念町は区画整理が行われいない街並みが残っていて、鞍月用水の一部は開渠となって流れています。
国道8号線の金沢バイパスを横切ると、旧鞍月村のあった南新保です。 南新保に来ると、鞍月用水も分流が多数出てきます。 大きな分流としては、戸水方面への流れと、問屋町方面への流れがあります。 どれが本流かはわかりませんが、南新保町内の耕地整理記念碑が設置されていて、鞍月村道路元標がある南新保八幡神社の脇を通る水路を本流とすることにしました。
鞍月用水は、鞍月小学校の校舎と運動場の間の小学校の敷地内を流れています。
鞍月用水は、直江町の集落内も流れています。
鞍月用水は、海側環状線を過ぎると、まっすぐ弓取川に向かって流れていきます。 弓取川と合流した後、大野川と合流し、金沢港を通って、日本海に流れています。