胆沢平野には、室町時代に開削された穴山堰、室町時代末期に開削された茂井羅堰、江戸時代初期に開削された寿庵堰が造られるなど、古くから水田開拓が行われていました。
ただ、水争いも絶えなかったため、1957年(昭和32年)に国営胆沢川農業水利事業として円筒分水工が造られ、水が公平に分配されるようになりました。
この円筒分水工は、1995年(平成7年)に改修され、外円径31.5m、流量16.0m3/sの日本最大級の円筒分水となっています。
山口県防府市には、外円径34.0mの円筒分水工がありますが、流量が4.2m3/sと少なく、規模としては胆沢平野用水円筒分水工の方が大きいです。
胆沢平野用水円筒分水工周辺は、徳水園として整備されています。
胆沢平野用水は、疎水百選に選ばれています。
胆沢平野土地改良区のWebページから、水土里の皆廊のパンフレットをダウンロードできます。
岩手県奥州市胆沢区若柳にある徳水園の近くには、茂井羅頭首工があります。 円筒分水工の水は若柳頭首工から取水していますが、茂井羅頭首工でも補っています。
奥州市胆沢区若柳下堰袋には、胆沢川の水神を祀った於呂閇志胆沢川神社があります。 境内には、いろいろな石碑が並んでいます。
於呂閇志胆沢川神社の近くには、寿安幹線用水と茂井羅南堰用水を分水する土橋分水工があります。
岩手県奥州市胆沢小山には、円筒分水の蛸の手分水工があります。 ここで、水を四方八方に分けていたため、蛸の手分水工と呼ばれるようになったようです。
葦名堰は、江戸時代初期の1618年(元和4年)に伊達家の家臣の葦名氏が開削した用水で、ニノ台堰や刑部堰とも言われています。 穴堰(隧道)と平堰(開水路)とサイフォンを使い、約24km先の衣川増沢の前川から水を引いています。 葦名堰の流路は変更されたため、約1kmほどの区間で、当初の姿が残されています。 胆沢平野土地改良区のWebページから、葦名堰のパンフレットをダウンロードできます。
葦名堰の穴堰から50mぐらい進むと、葦名堰 北の斜坑があります。 北の斜坑は、開削当時の土砂の運び出しと、空気の取入れ口の役割をしていました。 斜坑内は立入禁止ですが、入口から中を覗くことはできます。