長野堰用水は、928年(延長6年)に長野康業によって造られたと言われる用水を、1551年(天文20年)に箕輪城主の長野業正が整備し、現在の長野堰の原型が造られました。
長野堰用水は、烏川から取水し、高崎城のある高崎市内を流れ、再び烏川へ流れる約16kmの用水となっていて、疏水百選、世界かんがい施設遺産に指定されています。
農林水産省の世界かんがい施設遺産登録施設のWebページから、長野堰用水のパンフレットをダウンロードできます。
長野堰用水は、群馬県高崎市本郷町にある烏川の長野堰頭首工から取水しています。
長野堰用水は、群馬県高崎市本郷町にある小堀川サイフォンにより、小堀川と交差します。
長野堰用水は、群馬県高崎市沖町にある榛名白川サイフォンにより、榛名白川と交差します。
長野堰用水は、群馬県高崎市台町にある新井堰で、高崎城の堀へ分水しています。
群馬県高崎市江木町には、長野堰用水円筒分水があります。 円筒分水は、1962年(昭和37年)に水争いをなくすために造られ、地獄堰、上中居堰、矢中堰、倉賀野堰の4用水に対して、公平に分水しています。
群馬県高崎市上中居町では、分水された4本の水路が、高速道路のように立体交差しています。