世界遺産にも登録された、大阪府堺市にある百舌鳥古墳群をめぐるランニングをしてきました。 百舌鳥古墳群の中で、世界遺産の構成要素となっている古墳は仁徳天皇陵など21基もあるので、その中で特に大きな6基に行きました。 古墳の大きさを体感するため、それぞれの古墳に着いたら、周囲を一周することにしました。 6基の古墳をめぐって、約17kmのランニングでした。
私が訪れた、百舌鳥古墳群以外の全国の古墳・天皇陵の写真も掲載しています。
堺東駅東口から出て、東に少し走ると、反正天皇陵古墳拝所があります。 反正天皇は、「はんぜいてんのう」と読みます。 反正天皇陵古墳は、墳丘長148mの前方後円墳で、今回めぐった古墳群の中では小さい方ですが、一周すると約1kmあります。 古墳の周りを走っても全体の形は分かりませんが、案内板の地図を見れば、全体の形が分かります。
反正天皇陵古墳の北側にある方違神社は濠に面していて、古墳全体を見ることができます。
反正天皇陵古墳から南へ走っていくと、凱旋門風の赤レンガ造りの旧天皇貯水池があります。 堺市で初めて造られた水道施設で、国の登録文化財に指定されています。
旧天皇貯水池から南へ走っていくと、竹内街道を横切ります。 竹内街道は、河内国と大和国を結ぶ、日本最古の官道(国道)で、日本遺産に指定されています。
竹内街道から大阪中央環状線(大阪府道2号線)と南海高野線を渡ると、仁徳天皇陵古墳の北端に出ます。 仁徳天皇陵古墳は、大仙墳陵古墳とも呼ばれている墳丘長486mの前方後円墳で日本一大きな古墳で、一周すると約3kmあります。 三重の濠があるので、全景は案内図で見るしかありません。 一周すると約2kmもありますが、コースの関係で1周半も走りました。
仁徳天皇陵古墳の南側には、拝所があります。 訪れる人も多く、周回する道路も、きちんと整備されています。
銅亀山古墳は、仁徳天皇陵濠に沿って造られた、一辺が26m程度の四角形の方墳です。 通り道だったので、写真を撮りましたが、百舌鳥古墳群には、このような小さな古墳が多数あります。 銅亀山古墳は、小さくても世界遺産に登録されていますし、個人の家を基準にすると十分大きいです。
仁徳天皇陵古墳から南に少し走ると、履中天皇陵古墳に出ます。 履中天皇陵古墳は、ミサンザイ古墳とも呼ばれている墳丘長365mの前方後円墳で日本で3番目に大きな古墳で、一周すると約2kmあります。 履中天皇は、仁徳天皇の第一皇子として誕生された天皇です。
大仙公園の端には履中天皇陵古墳ビュースポットがあり、北側の濠から履中天皇陵古墳全体を見渡せます。 幅の広い濠から、古墳全体を見渡せるので、仁徳天皇陵よりも迫力があります。
履中天皇陵古墳の南側には、拝所がありますが、ビュースポットから拝所まで1kmもあります。 かつては二重濠となっていたようですが、現在では外側の濠は住宅街になっています。
履中天皇陵古墳から東に走りJR阪和線を渡ると、いたすけ古墳があります。 いたすけ古墳は、墳丘長146mの前方後円墳で、一周すると約1kmあります。 濠の北側にいたすけ公園があり、標柱や案内板があります。 今まで走ってきた、反正天皇陵古墳、仁徳天皇陵古墳、履中天皇陵古墳は、海岸線に平行に造られていましたが、いたすけ古墳、御廟山古墳、ニサンザイ古墳は、海岸線とは垂直に造られています。
いたすけ古墳は、宅地造成により取り壊されそうになりましたが、保存運動により国の史跡に指定され、保存されることになりました。 南側の濠には、宅地造成のときに架けられた橋が、崩落した廃橋として残っています。
いたすけ古墳から北東に少し走ると、御廟山古墳があります。 御廟山古墳は、墳丘長203mの前方後円墳で、一周すると約1kmあります。 濠の西側と北側は遊歩道が整備されています。
御廟山古墳から東に少し走ると、高林家住宅があります。 高林家住宅は、江戸時代に大庄屋だった屋敷で国の重要文化財に指定されています。 長屋門の奥に、茅葺屋根の母屋も見えます。
高林家住宅から東に少し走ると、百舌鳥八幡宮があります。 百舌鳥八幡宮は、応神天皇を祀る神社で、鳥居の前には放生池があります。 境内には、樹齢800年の大楠があり、大阪府の天然記念物に指定されています。
ニサンザイ古墳は、墳丘長300mの前方後円墳で日本で7番目に大きな古墳で、一周すると約1.5kmあります。 ニサンザイ古墳は、反正天皇陵という説もあります。 濠の西側は、御陵山公園となって、西側と北側には遊歩道が整備されています。 ニサンザイ古墳を一周して、今回のランニングは終了です。